元旦午後

午後は以前から訪れたいと思っていた、三ノ輪の浄閑寺へ。寺の開基は1655年。2年後に江戸は大火にみまわれ、幕府はその折に遊郭を日本橋から移転。

そこは新吉原と呼称され、貧しい女性たちの苦界となりました。資料によると、「徳川幕府は、すべての寺に人別制度の事務を負わせたが、遊女は身を売ると同時に、戸籍簿から外された」
奴隷制度もここに極まれり。彼女たちは死亡するとこの寺に投げ込まれたため、「投込み寺」と呼ばれていたということです。今日も花、水、菓子、微風にたなびく煙が。

驚くべきは、新吉原が第二次世界大戦の敗戦後に占領軍の命令によって廃止されるまで、300年間にわたって存続し、25,000人の犠牲者が浄閑寺に葬むられてきたことです。
人を消耗品のように使いきって捨てる。このような施政と、それを支えた人々の差別意識。形を変えて、現在まで綿々と続いているのではないでしょうか。

参考資料:「廃娼運動」竹村民朗 中公新書、「浄閑寺と荷風先生」浄閑寺

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の読書法は、一次資料重視。仏教は岩波文庫で出版されている「ブッダ最後の旅」、「ブッダ 神々との対話」、「ブッダの真理のことば・感興のことば」全て 中村 元 訳。
キリスト教・ユダヤ教は、「旧約聖書」。イスラム教は、「コラーン」。

上記の浄閑寺発行小冊子によると、この制度を「必要悪だった」と断じていますが、”原始仏教のこころ”から相当に乖離した視座に思えます。