イラン騒乱

イランIran

 

イランが大変なことに。否、イラン民衆への弾圧がひどいことに。

前回イランを取材したのは、2003年8月。世界最古の家畜馬カスピアンの撮影を目的に企画して、単独で訪れた。と言っても、私の興味は、”馬に投影される文化”。単に馬は美しい動物だからという理由で、撮っているわけではありません。

 話が飛びますが過去の日本では、小型の国産馬が大型の外国産の馬と交配することが政府によって強制されました。それは「治安維持法」が制定されて、戦争に反対する平和主義者まで軒並みに検挙され、殺害される前のこと。外国産の馬との交配が発令された時点で、どれだけの人々が「これは戦争準備だ」と予見したでしょう? 農作業に従事していた馬たちは、軍馬になりました。その数は50万頭とも60万頭ともいわれていますが、大陸に渡った馬は彼の地で全て亡くなりました。この辺の資料はきっちり押さえるべきなのですが、敗戦後に関係者はその責任を逃れるべく燃やしてしまいました!

 イランに戻りますが、当時は政治犯の釈放を求めた大規模デモの直後で、それを撮影したカナダ在住のイラン人女性記者が警察署で殺された直後。何カ月もかけて準備しただけに行く意志に変わりはないものの、なんとも気が重かった。

 出発前は本当に生育しているかどうかも不明でしたが、発見者とも会うことができて撮影は完了。「乗馬ライフ」誌2004年4月号(オーシャンライフ刊)に表紙と特集記事10頁を掲載。結局のところアケメネス朝ペルシャまでに歴史を遡り、王制からイスラム革命にかけて、またその後の治世が最古の家畜馬に及ぼした転変を詳しく執筆。 その他、イラン関係掲載誌は「サンデー毎日」、「自然と人間」。

写真の女性たちを写したのは、首都テヘラン。スカーフとコートは着用義務。

 紹介された学生曰く、「現政権の民衆への弾圧は、王制時代のやりかたを正しく模倣している」。ご家族と一緒の自宅には大きなパラボラアンテナが中庭にあるが、普段は布をかけて隠していた。「貴方のような外国人と携帯電話で連絡しあったから、私もマークされるでしょう」。「密かにアルコールが手に入ったぞ!なんて友人がささやいたりするけれど、本当にばかげていますよね。どうでもいいことにエネルギーを費やして」。忌憚のない意見を闊達に語る貌が、今も生き生きと甦る。外国に行く予定と言っていたが、その後はわからない。帰国後にお礼の連絡をとろうと努めたが、ご家族も含めて一切の通信が絶たれしまった。