日本 5世紀前のこと  ”二対一騎打”

 ひょんなことから、ある決闘に興味を抱きました。舞台は日本、5世紀前。以前のブログにも書きましたが、古代ギリシャ語を学んだことがあります。古の戦記は「アナバシス」をはじめ多数読んできました。古と言えば、紀元前が当り前。5世紀前など、昨日のこと。

 この決闘には三人の人物が登場します。一対一で戦うとの約束でしたが、実際は二対一でした。二の側は、一対一では到底勝ち目がないことを予想して、乱入する手筈を整えていました。弓矢の名手の一は、決闘でも先ず弓矢を取り出しました。すると、なんと二の側は弓を射抜き、武器そのものを破壊してしまいます。得意武器で戦う約束自体を否定し、憤怒させるのも計算のうちでした。

  一の側の驚愕を想像すべし。“まさか!一対一の約束ではないか!それでも武士か!恥を知らぬか!”死闘の末に二人の側が勝利しますが、誇りある勝ち方ではないためか、その戦いを転機に運命は暗転。ほどなく二人側勢力の城(月山富田城)は、一人側勢力によって陥落しました。この戦い、今では一騎打と喧伝されていますが、本当は二対一騎打。

 二人側の代表者は、山中鹿之助。一人で雄々しく戦ったのは、品川大膳陰徳記記載の名)、品川狼之助(老翁物語記載の名)品川三郎右衛門温故私記・吉田物語記載の名)、品川狼の助勝盛陰徳太平記記載の名)は同人物。その時代には通名がよく用いられていたようです。ただし陰徳太平記の原本が陰徳記ですので、陰徳記の方が史書として信頼できます。いずれにしても以上の書物は、最後の最後まで三名がからんだ決闘を記述。共通しているのは、秋上伊織助という乱入者が品川の背後から決定的な役割を果たして、山中鹿之助を勝たせたということ。

 一方の山中鹿之助側が論拠としているのは、「雲陽軍実記」。かなり粉飾された文章であることは明瞭。第四巻 山中鹿之助品川大膳富田川中嶋合戦は、書出しからして品川大膳の外見。これは奇妙。どのような軍記でも、まず事象の説明から始まるのが常。

 しかしながらこの書はいきなり、眉毛や目の形、体毛まで悪し様に言及しているのは噴飯もの。曰く、「総身に毛生えて熊のごとし」。熊人間……笑止千万。このような軍記の虚偽記載ぶりは、推して知るべし。改めて、明治44年に出版された同書の復刻版に眼を通すと、以下の通り。「復刻にあたって」-「河本隆政の自筆原稿は、早く失われ、相当数の写本が存在するが、どれが原本に近いかという書誌学的研究は全くといってよいほど行われていない。~中略~人名、地名においてかなりの相違がある。とにかくテキストクリテークが必要である」。人名は、勿論違います。品川が、たら木などと自称するはずはありません。家名を重んじるのが武士。

 騙し打ちに合いながらも、二人を相手に雄々しく戦い抜いた若武者、品川大膳。二対一の勇猛果敢な戦いは、未来に語り継がれていくことでしょう。1565年、9月20日没 合掌 

 ■当時は太陰暦が使われていたので、太陽暦の9月20日とは異なります。